今日もくゆらす

とりとめのないことを思い出したら @v_hata

ワケなくV6を好きになったわけじゃない 三章

こんばんは。くゆらすです。

私はいわゆるノマドワーカーというやつで、特に決まったオフィスを持たず、

時に自宅、時にお店やレンタルオフィスでPCをポチポチすることが多いのですが、

現在絶賛年末進行の繁忙期のため、都内のあちらこちらで目の下に隈を作りながら仕事に励んでいる真っ最中です。

 

本日も仕事をしていると、突然PCがウォンウォンと不穏な鳴き声を出し始めたので、

慌てて中のデータをチェックしていたら大変懐かしいものを見つけました。

それは昨年、トニセン3人がそろい踏みした記念すべきミュージカル

『ON THE TOWN』を鑑賞後に、友人に送った感想画。

3人の歌い踊る姿に大感動し、瞳を潤ませながら、

「一生この人達についていこう」と心に決めた当時の私が、

感情の高ぶるままに衝動で描いた作品を皆さんにもお見せしたいと思います。

 

 

 

 

 

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感動が!!!!!

伝わらない!!!!!!!!

 

 

もう自分の画力、センス、伝達技術、すべてにガッカリです。

「ちくび=(●●)説」をわざわざ※で記している自分に本気で腹が立ちます。

「こんなクズみたいなシロモノじゃ坂本くんの魅力は伝わらない!」と

プンスカされてしまうかもしれませんが、ここはグっとこらえてください!

朗報です。

この画を送った友人は、現在見事に坂本担になりました。

V6のファンクラブにも加入し、

11月1日の代々木にも、坂本くんのウチワを持って一緒に参戦しています。

一体この画像で彼の魅力の何が伝わったのか描いた本人すらもさっぱり理解不明ですが、

一人でひっそりとV6にフンガフンガ興奮していた私に、心強いファン友達ができた

ということもあって、この画も見事供養できるってものでしょう。

ありがとう。この画。さようなら。この画。(削除)

 

という訳で、非常に懐かしい(というより覚えていない)私のV6愛のメモリー

一つ消えたところで、新たな愛を吐露すべく、

今日も仕事を差し置いてブログをくゆらしたいと思います。

 

いや、「愛」と書きましたが、三章は前回お伝えした通り、

私のV6愛は全然描かれていません。

と言うより、率直に言って、V6が嫌いになったきっかけのお話しになります。

何度も言いますが、ご本人たちとは直接関係のない大昔のエピソードです。

ご理解頂ければ幸いです。

 

③1997年冬「剛健FAX」事件

 

前回の記事でお伝えした通り、ようやく日本に帰ってきて、

転校初日で早速やらかした&やらかされた中学二年のくゆらす子。

その後も、先輩方や同学年のオラオラ系グループに数度呼び出されたり、

机に牛乳をぶちまけられたり教科書を破られたりとポップなイタズラを仕掛けられたりもしましたが、

前述した通り、家族の影響やこれまでの環境のせいか、

くゆらす子は日本人特有の抒情性や繊細な心が乏しかったお陰で、

「いじめられても親に言えない」「先生なんかに告げ口はできない」という遠慮は一切なく、

事が起きればダッシュで職員室に逃げ込み、8倍くらい話を盛って告げ口するという、

いのっちもびっくりの盛り話芸で、

いつの間にか「いじめっ子たちすら若干引く」という状況を勝ち取っていました。

多くのいじめられっ子が不登校になったりするのを私も目撃しましたが、

我が家は「やられたらやり返すまで続行!!やり返したら勝つまで続行!!」

という脳筋一家。

朝、「学校に行きたくない」と愚痴っても、

「下痢」以外での欠席を許さないという謎の掟を守らなければいけません。

んな無茶な。と当時は思っていましたし、

全ての子供にこういう親の教えが有効だとは決して思いませんが、

くゆらす子にはドンピシャで良い結果だったのだと今では感謝しています。

 

「イジメ」というのは絶対に学校からなくならないものだから、

イジメられない子に育てるよりも、イジメられても平気な子に育てよう。

 

かなり乱暴な決意ですが、私と兄はこういう両親に育てられました。

お陰様で、兄は「イジメ」という繊細かつ次元の高い悩みとは無縁の、

「俺は今日も美しいか」というただそれだけに邁進するジャイアニズム搭載ナルシストに、

妹は「イジメ」にあったら速攻で権力のある大人に告げ口して、

後ろでニヤニヤする末っ子の嫌な気質大爆発な人間に、見事成長を遂げていきます。

(これだけ言うと「子育て失敗感」が否めませんが、

その後二人ともイジメる側に回ることもなければ、世間様からの冷たい視線にも

あまり傷つかない、と言うより気づかない人種になったので多めに見てください。)

 

話が逸れましたが、謎の転校生があまりにも予想外かつイジメっ子の

斜め上を行く卑怯な手口で反撃してくるものだから、

いつの間にか直接的な攻撃は収まり、くゆらす子にも幾人かの友人ができるようになりました。

 

この友人グループというのが、当時の大多数の女子中学生同様、

ジャニーズが大・大・大好き。特に彼女たちがお熱だったのが、そうV6です。

私はと言えば、V6はもちろん、Jr.を含む主要な面々も

顔と名前が判別できる程度にはジャニーズ事情を把握していましたし、

どちらかと言えばV6を含むジャニーズには好意的な印象がありましたが、

特に誰かのファンというわけでもなく、

ジャニーズの皆さんが出演しているバラエティ番組やテレビドラマも、

「流行っているから見ている」程度の一般ピーポーでした。

休み時間になるたびに、雑誌を持ち寄りながら、

「剛くんカッコイイ!!ピギャー!!!」

「健くんは渡さないからぁ!!ヌフォーォ!!!」

と真っ黄色の声を挙げながら、彼らへの愛を叫ぶ友人たちに一生懸命ついていこうとしますが、

心の内では「会ったこともない人にそこまで心を砕けるってスゴイなぁ」と、

温度差を感じていたくゆらす子。

特に解せぬ、と思っていたのが「××は〇〇と付き合っている」だの

「××は今〇〇に言い寄られて困っている」という煙の元も分からぬ噂話。

当時はSNSなどもちろんなく、

「友達のお姉ちゃんの同級生が~」「先輩の元カノが~」といった胡散臭い出どころの

ゴシップも結構な割合で市民権を得ていた印象があります。

まぁこの事象については、SNS上のデマ情報で右往左往する人々の多さを見ても、

今昔はあまり関係ないことなのかもしれませんね。

むしろ、マスメディアも一般人からのバイラル(口コミ)もネット上では横並びで文字になって拡散される分、

現代の方が、さも情報は自ら取捨選択しているかのような錯覚に陥りがちになり、

踊らされるデマ情報の裾野が広がっているかもしれません。

 

14歳のくゆらす子は、利発な子ではなかったですが、

「出どころ不明の噂話を盲目的に信じる」という点については非常に懐疑的でした。

単にひねくれていたのもあるでしょうし、

「一流のジョークが言えない奴の悪口と噂話は害悪でしかないから、

笑わせてもらったことのない相手の戯言は無視しなさい」

という親の教えがあったからだと思います。

 

でも、せっかくできたトモダチ。

ハブられるのはイヤ。

なんて弱い心が出たのでしょうか。

くゆらす子は、口さがない友人たちのアイドルゴシップに乗るでもなく、

かと言って正面切って否定するわけでもなく、

曖昧な苦笑いでやり過ごしていました。

 

ところがある日。とうとう決断を迫られる事件に遭遇します。

 

中学二年生もあと2ヶ月、という頃。

我が家のファックスが一枚の手紙を受信しました。

たまたま私が受け取ると送り先は友人の一人からです。

読んでみると、そこにはこのようなことが書かれていました。

 

「××中学校、○○中学校の人たちにお願いです。

 V6の森田剛くんは、今△△中学校の2年A組の□□□□と付き合っています。

 けど□□□□は、★★高校3年の男子と二股をかけています。

 剛くんは、すごく悩んで仕事を休んで□□□□と話し合いましたが、

 □□□□は「うるさい」と言って、今度は三宅健くんに告白しました。

 健くんも好きになってしまって付き合うことになり、

 剛くんと健くんは絶交してしまいました。

 V6はみんな仲が悪くなって、坂本くん(リーダー)が「もういい」とキレて

 剛くんを殴りました。

 このままだとV6は解散してしまいます。

 それなのに□□□□は反省することもなく、色んなジャニーズに手を出しています。

 □□□□を許せません!このファックスを見た人は、友達に回してください。

 100人に送るとA(当時地元で徒党を組んでいたカラーギャング)が□□□□をシメてくれます。

  V6を好きなみんな!解散しないようにお願いします!!!!」

 

 

・・・坂本くん(リーダー) とばっちりぃ!!!!

 

いや、これは□□□□さんも★★高校3年の男子も、もちろん剛健もとばっちりですね。

若干のフェイクは入っていますが、原文とほぼ同じです。

なぜ覚えているかと言うと、この紙をいまだに持っているからです。

今読み返しても、

「坂本くん(リーダー)」の丁寧な解説で3か月は笑いながら生きていけそうです。

 

あまりの荒唐無稽さに当時のくゆらす子も腹で白湯を沸かすぐらい大爆笑。

ぜひこの白湯、健くんに飲んでいただきたかった。

と、ふざけていたのもつかの間、ふと真顔になります。

恐らくこれはジョークじゃない。

普段の友人たちの噂話のレベルを考えると、彼女たちは本気だ。

 

「ジャニーズ」という遠い世界と、

「手を伸ばせば届く距離感」の世界をつなぎあわせることで、

いびつなつながりを持とうとしたのでしょうか。

それとも剛くん健くんは単なるスケープゴートで、

やり玉に挙げられた少女を陥れるための誰かが仕込んだ「イジメ」なのでしょうか。

 

剛くんが恋愛のせいで仕事を休むとか、健くんが大切なメンバーの彼女を強奪するとか、

坂本くんが「もういい」という理由で人を殴るとか、

V6がそんなことで解散危機にあるとか。

 

普段どんなにV6が好き、大切だと言っても、こんな噂を他人に広めちゃうんだ。

好きな人たちをこんな不確かなもので辱める友人に、私はぞっとしました。

 

もちろん100人の輪に加わることはなく、無視していると、

家電に送り主の友人から「ちゃんと次の人に送った?」と確認の電話が来ました。

これまで友達をなくしたくないという弱い心で流されていたくゆらす子でしたが、

さすがにこの件は流されることはできません。

つたない言葉でしたが、浮いていた転校生をグループに迎え入れてくれた友人に、

誠心誠意を込めて、こういうのは良くないよ、と伝えました。

 

けれど。

友人には伝わりませんでした。

 

「何それウザい」と静かに言われガチャギリ。

当時は携帯もなかったので、次の日の学校まで彼女が少しでも気づいてくれればいいな

と願っていました。

しかしその願いもむなしく。

異端は排除する、というグループ心理にのっとって、

くゆらす子は再び「イジメ」の対象者となります。

 

これまでの先輩やオラオラ軍団からのイジメには、全然へこたれなかったのは、

もともと彼女たちに何の感情も抱いていなかったから。

でも今回は、かつて友人だと思っていた人たちからの攻撃です。

イジメの内容も、アグレッシブなモノだったらそれ相応の反撃ができたのですが、

彼女たちがとったのは、「クラスメートを巻き込んだ集団無視」。

これには鈍感なくゆらす子も少し心が軋みました。

 

そして何よりも度肝を抜かれたのは、

件のファックスと類似したKinKiバージョンの噂話を、私の名入りで送られたことでした。

 ※ただ納得いかないのは、彼女という立ち位置ではなく、

  堂本剛さんのストーカーかつ万引き犯」という

  大変不名誉なキャラクターだったことです。

  (そこは彼女でいいだろがい!!!と憤怒した記憶が。)

 

彼女たちは「無視」以外にも、放課後私の後をつけ、

遠巻きに「死んだ方が良いよねー」だの

「○○(前に暮らしていた東南アジアの国)がお似合いだよねー」だのの

言葉を浴びせ続けるという、スタミナ重視の攻撃も行なっていました。

 

季節は冬。春になると私は再び新しい学校に転校します。

しばしの辛抱だ。と心に言い聞かせ、歩き続けるくゆらす子。

浴びせ続ける言葉の刃に何の反応も見せないことが面白くなかったのか、

かつての友人たちは、私の背中に向かって砂利や小石を投げ始めました。

 

集団心理というのは恐ろしいもので、きっかけもなく急にヒートアップすることがあります。

これまでのイジメにおいて主犯格だった少女が、

私めがけて勢いよく少し大きめの石を投げると、

運悪く、その石は私の首に当たりました。

じんわりと熱を感じ、首元に手をやると、うっすらと流血。

 

さすがの辛抱もここまで。

「哺乳類ヒト科女の子」という所属を捨てたくゆらす子は、

スーパーサイヤ人所属」に完全移籍。おめでとうございます。

 

「オラ怒ったぞーーークリリーン!!!!!」と叫んだかどうかは覚えていませんが、

流血にひるんでいたかつての友人たちめがけ、

カメハメ波ならぬ「ただのビンタ」を繰り出します。

ファーストコンタクトは手ごたえがあったのですが、いかんせん相手は複数名。

次第に髪をつかまれ、足に蹴りを入れられと、劣勢模様になっていたその時です。

 

「何やってんのくゆらす子。」

 

ふと隣を見れば、兄じゃないですか。

学校帰りの兄が、信じられないといった顔で私たちを凝視します。

我に返って気がつきましたが、ここは兄にとっても家への帰り道。

身内の顔を見て安心した私は、

スーパーサイヤ人所属」から「告げ口末っ子所属」に電撃移籍。

 

「オ゛ニ゛イ゛チ゛ャ゛ア゛ア゛ン゛」

とめどなく溢れる涙をぬぐうこともなく、兄に駆け寄ります。

 

 

「ちょ、やめて、汚れるから」

 

 

くゆらす子は勉強しませんね。

そうそうお兄ちゃんはこういう人ダロッ☆

 

妹のこんな状況を見ても己のシャツの清潔さを気にする男。

圧倒的外道対応に乱心していたくゆらす子も穏やかになっていきます。

 

兄は汚物を見るような目で、今度は私の格闘相手たちに視線を移しました。

 

 

「え?この人たちがお前をシバいてた先輩?」

 

 

 

 

「ブスじゃん(´・ω・`)ショボーン」

 

 

 

 

いじめっ子とか、そういう次元じゃない、遥か遠くに彼は生きていました。

あまりのカウンターパンチに何も言えなくなっていた彼女たち。

生物界の頂点に君臨する男は、

当時多くの中高生の間で流行っていたラルフローレンのマフラーを

つけている一人を見ながら、さらにこう追撃します。

 

「ちょっとー。ラルフのマフラー似合ってないよー。

 顔おっきいんだからー。

 ラルフローレンが泣くわー。

 てかロゴのおじさんも落馬するわー(笑)」

 

 

イジメの加害者被害者の立場を忘れ、この追い討ちにさすがの私も同情を隠せません。

(兄ちゃん・・・初対面の人になんつーことを・・・)

ちょっと申し訳なさそうにいうものだから、相手へのダメージも倍増。

計算か天然か。知ったことではありませんが、

先ほどまであんなにも憎んでいた相手に、つい手を差し伸べたくなります。

We are the world

どんな名曲よりも敵味方のボーダーを消す魔法の存在。ONIICHAN。

ちなみに「ラルフのロゴも落馬するわ」は当時のお気に入りワードだったようです。

 

比にもならないほどの超絶な毒によって毒を制された私たちは、

何だかふわふわとした空気のまま解散。

これがドラマや漫画だったならば、仲直りをして一生の友となる…

的な展開が待っていたでしょうが、残念ながら現実世界はそんなに甘くはなく、

次の転校を迎えるまで、彼女たちとは話すこともありませんでした。

しかし、「あいつ(とあいつを取り巻く人間)はひたすらヤバイ」という

危機感が芽生えたのか、あの日から分かりやすいイジメもなくなり、

孤独でしたが平穏に暮らしていけました。

 

でも。

 

休み時間、あのFAX騒動をすっかり忘れ相変わらず

「V6超好き!」「ジャニーズ大好き!」と叫ぶ彼女たち。

 

「私もー!」と雑誌を手にはしゃぐクラスメートたち。

 

家に帰ってテレビをつけると、にこやかに笑っているジャニーズのアイドルたち。

 

 

 

テレビの中のきらびやかな彼らの姿と、

身に起こった出来事があまりにもかけ離れているという事実が、

私の心にひっそりと影を落としました。

 

この芸能人はこんな東京の片隅で起こったことを全然知らないで、

またファンを増やして、そのファンが誰かを傷つけて・・・

 

大人になって、V6を好きになれて。

今なら当時のくゆらす子に「それは違うよ」と言うことができます。

 

でもまだ14歳。

視野も狭く、自分が経験したことを消化するのに精いっぱいだった

私はいつしかこう思うようになっていました。

「ジャニーズに夢中になる人大嫌い。」

「そんなファンを平気で放っておくジャニーズも大嫌い。」

未熟だったくゆらす子。

こんな拭い切れない寂しい思いを抱えたまま、大人になっていきます。

 

 

何だか三章は重くなっちゃいました。

でも「ワケなくV6を好きになったわけじゃない」とタイトルに冠したとき、

絶対にこの話は入れたいと思っていました。

 

V6ファンの皆さんはとてもマナーが良い、と言われています。

他のグループやジャンルのファンの方々と比べられるものではないと思いますが、

(と言うより全く知らない)

私もそれには同意です。

実際にコンサートで交流したファンの方や、座席エリアを共にした皆さんを見た上で出した感想です。

でも、V6を愛する人に忘れないでほしいことがあります。

20年という歴史は、メンバー6人の歩みだけでなく、

「V6ファン」と呼ばれる団体が積み重ねた歴史でもあることを。

 

この団体を構成する個人個人は、長い年月で去っていったり入ってきたりと様々でしょうが、

外部の人間からすると、「V6ファン」と言うひとくくりに捉えられてしまいます。

かつて私が出会った彼女たちは、今はもうファンではないかもしれません。

でも、ファンを自称する限り、不条理かもしれませんがある種の団体に属するのだと思います。

私は当時、「V6ファン」にイジメられた。という記憶でこの話を思い出します。

 

まだV6の歴史が始まったばかりの頃、6人が様々な試行錯誤をや努力を経て、

20年経っても素敵だねと言われる6人になったのと同じように、

「V6ファン」というのも、メンバーから誇りですと言われる存在になっていったのは、

まだまだ、と言われるところから、色々な経験を積み重ねて成長していったんだな。

・・・と、自分の過去の体験と、今経験しているV6ファンライフを重ねながら考えています。

ローマは一日にして成らず、という言葉がありますが、

V6ファンの評価も昨日や今日、出来上がったものではない。

ということを、頭の片隅に置いて、彼らを応援し続けていきたいものですね。

 

V6を初めとするジャニーズという世界に対して、

相当頑ななネガティブ印象を抱いてしまったくゆらす子ですが、

ここからは、様々な出会いのおかげでゆるやかにですが氷解していきます。

次章は、閑話休題的な小話になるかと思いますが、

またお付き合いいただければと思います。

 

ワケなくV6を好きになったわけじゃない 三章「の前に」

お久しぶりです。カレーでお腹一杯のくゆらすです。

今日の長野くんは何の晩御飯を食べたんでしょうかね。

共通点など何一つない私たちですが、

恐らく長野くんが晩御飯を抜かすということは考えられないので、

「今日飯を食った」ということでは確固たるつながりを見出せる。

まさにハピネスですね。

V6に関して幸せのハードルをだいぶ低く見積もっていますが、それもこれも

来年以降はグループ活動も今年ほどモリモリになるとは思えないという諦観ゆえ、

今から些細な幸せを拾っていくトレーニングを始めているわけです。

WOWOWの放送も終わり、これからチャリティーミュージックソン、紅白、さらに坂本くんのソロ舞台と嬉しい行事が続きますが、

贅沢はそろそろ控えて、皆さんもV6幸せ貯金、始めてみませんか?

 

余計なお世話ですね。

ということで、私にとってはこのシリーズも100%自己満足ですが、

幸せ貯金のひとつとしてぽちぽち続けていこうと思います。

 

さて「ワケなくV6を好きになったわけじゃない」シリーズも三章目。

はっきり申し上げて、ぜんっぜん進んでいません。

いつになったらくゆらすはV6を好きになるの?

っていうかV6関係なくない?

放屁に2500文字も使ってんじゃねーよこのハゲ!

と夜も眠れない皆さん。

 

安心してください。この章も本人たちは出てきませんよ。(CV:とにかく明るい岡田)

 

この記事のタイトルは、三章「の前に」です。

三章は、長き異国生活を終えたくゆらす子が、

日本の首都、東京に居を移してからのお話になりますが、

V6に絡む事件の前に、ちょっと道を逸れたお話が思いの外長くなってしまったので、

独立したものにしてみました。

 

V6とは全く関係のない、くゆらす子の体験談ですので、

興味のない方はすっ飛ばしてください。

 

そして今回の影の主人公は、くゆらす子の二歳年上、恐怖のくゆらす兄です。

兄については一章で幼きくゆらす子に「ぶいしっくすさん!!」という掛け声とともに

ローリングソバットを食らわせていたという微笑ましい兄妹エピソードでちらりと登場しましたが、

今回も色々と兄として、生物の強者として、くゆらす子に様々な試練を与えてくれています。

 

★1997年夏 日本の中学校へ転校

 

この年、様々な異国生活を経て、くゆらす子一家はようやく日本に帰国しました。

日本の学生生活は、小学校3年時に約半年間のみ。

通った小学校4校、中学校3校と今思えばなかなかにハードボイルドな

思春期を過ごしてきたような気がします。

時に「転校」というものは子供にとって大変厳しい試練となりますが、

我が家は、「うちはうち。よそはよそ。俺らが前を向いた方角が北。」

というジャイアンもひれ伏すオラオラ家訓を掲げる父母兄で構成されているため、

転校によってもたらされるおセンチナイーブな乙女心も、

「悩んでいるなら星を見上げてごらん。え?今日曇り?じゃあ宿題やって早く寝ろ」

と秒殺で粉砕。

圧倒的リアリズム&暴力的家族愛のお蔭で

くゆらす子は特に繊細な心を持ち合わせることもなく、

様々な土地でおおらかに成長していけたのだと思います。

 

中学二年。私が転校した先は、東京の郊外にある中学校でした。

ここには一年間もいないことを父から知らされていた私は、

いつもの通りマイペースに平和に過ごしていこうと決め、

転校生とは思えないほど自然に、悪く言えば油断していたのだと思います。

 

くゆらす子は、正直言って知らなかったのです。

日本の女子中学生のある種ヒステリーと狂気に満ちた集団心理と、

「アイドル」たちへの偏愛を。

 

私が転校した中学、特に女子生徒の間には、

「先輩の言うことは絶対。目立つ年下は潰す」

という何とも世紀末感漂う序列制度が敷かれていました。

日本の中学校が全てそうだとは決して思いませんが、

日本人学校に通っているときにも、

「日本の学校では悪目立ちをしないように」

「特に帰国子女は目をつけられやすいから気を付けろ」

というホラーなアドバイスが歴々の上級生から口伝えられていたことや、

当時「キレる14歳」「校内イジメ」など、日本の中学校を渦巻く不穏なワードがフィーチャーされていたことからも、

思春期の少年少女が集団生活を送る空間ならではの問題が色々と露見していた時代だったのだと思います。

 

別段目立つ予定もなければ天下取ってやる的な野心も全く持っていなかったくゆらす子は、

こういった事前情報もきれいさっぱりスルー。

それよりも帰国したことでようやく美味しい生卵をかけた日本米が食べられることに

狂気乱舞していました。

 

「いつも通り」

転校初日、その思いも、まずとある出来事でくじかれます。

それは「靴下」でした。

転校手続きで学校に行った際、同窓生となる子たちの服装を見てみると、

当時女子中高生が親の命よりも大切にしていたと言われている(言われていない)「ルーズソックス」を履いていました。

この頃のくゆらす子は、学校の芝生を食べてお腹を壊していた天真爛漫時代を卒業し、

同世代の少女たちと同じようにファッションや芸能ニュースにキャッキャしていた普通の14歳。

常夏の東南アジアからやって来たくゆらす子にとって、ルーズソックスは大きな憧れ。

私もようやくソックスをルーズできる!と内心ガッツポーズをしていました。

先生の話を聞いても校内を行き交う生徒たちの服装を見ても、校則はそこまで厳しくはない様子。

私は帰りに早速ルーズソックスを3着買い、ウキウキ気分で転校初日を迎えます。

 

そして当日。朝はまず職員室に行きしばらく待機。

予鈴が鳴ったら担任と一緒に人気のない廊下を歩くという転校生あるあるの通過儀礼を経て、

いよいよ初めて日本の中学生として、クラスメートと対面する瞬間がやってきました。

 

東南アジアの××って国知ってるか―?そこから転校してきたくゆらす子さんです。

くゆらす子さん、自己紹介して」

黒板に自分の名前を書き、第一印象は大切、とばかりに精一杯の笑顔で

「くゆらす子です。よろしくお願いします!」

と挨拶をする私。しかし。

なぜかクラスメートと視線が合わない。

みんなの目線は私の足元。からの顔チラ見。そして再び足元へ。

(・・・シャイか?日本の学生はやはりシャイなのか?・・・)

そんなポジティブ思考もクラスメートたちのざわつきで勘違いだと気づきます。

 

「ちょっと・・・靴下・・・」

「え~・・・ヤバくない・・・?」

 

刺々しい視線の茨をくぐりながら、自席に着席し、周囲の生徒を見渡すと。

誰一人としてソックスをルーズにしてなどいないではありませんか。

あれ?校則違反?

でも先生何も言わなかったし…

この学校で確かにソックスをルーズにした子たち見たし…

ジロジロと私を見つめるクラスメートたちに多少動揺しながらも、

「まぁ校則違反で死ぬわけでもあるまいし」

「ダメだったらあとで先生に言われるでしょ」

と「いつも通り」の気分で不穏な空気をいなしていました。

 

休憩時間、これも転校生あるあるですが、何人かの活発的な女子生徒が私の机に集まってきてくれました。

ここで大概行われるのは、転校前の学校についての質疑応答

しかし、彼女たちは第一声で、

「それヤバいよ!」

と私の足元と頭部を指さします。

彼女たちいわく、ルーズソックスは三年生しか許されていない。

しかも茶髪とピアスはマズい。シメられるよ!とのこと。

これだけ聞くとどんだけくゆらす子オラついてんだと思われるかもしれませんが、

茶髪とピアスには理由があるのです。

茶髪は、常夏の国で長年過ごした単なる経年劣化のため。

ピアスも、向こうの国では結構当たり前。日本人家族よりも現地人家族や

外国人家族と仲が良かったくゆらす子一家は、他の家族の同世代の子供たちと同様、

気軽な気持ちでピアスを許していました。

もちろん学校にはピアスはつけていきませんでしたが、

目ざとい少女たちが両耳のピアスホールを見過ごすはずもなく。

ヤバいよ~ヤバいよ~と稲川淳二にように脅かす彼女たちに戸惑いつつも、

まぁしゃあなし。と笑ってやり過ごすくゆらす子。

まさに見通し甘しです。

 

波乱で幕を開けた初日も終わり、好奇の目にさらされた一日にいささか疲れつつ、

(茶髪は地毛だしピアスはしょうがないし、まぁルーズソックスは明日から辞めておこう)

と思いながら校門をくぐろうとした時です。

 

「ちょっとお前待てよ」

 

勉学の場には似合わないドスの効いた声が私を呼び止めました。

振り返ると、足それなにジャバラ?アコーディオン?それとも大腸?

と言いたくなるほどソックスをルーズにした三年の先輩方が5,6人。

ただでさえ海外からの転校生で耳目を集めていた上に、

茶髪にピアスにルーズソックスという役満アウトな外見で、しかも反省の色なし。

これはもう先輩方にとっては格好の餌食です。ごちそうです。

ごちそうを前にした狼たちは、ポカンとするくゆらす子を引きずり、近くの公園へ。

 

「オイッ!てめぇ転校生だからって調子こいてんじゃねぇよ!」

 

くゆらす子の初壁ドンはイケメンでなく目の上下に白いポスカを引いた15歳の少女によって奪われました。

(※下記イメージ)

 

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転校生が調子こく理由がどこにあるのか。

その白ポスカアイラインは果たして正解なのか。

オラオラと詰め寄る白ポスカ軍団に成すすべもなく、

くゆらす子は唇を噛みしめながら彼女たちの気が済むまでオラオラされていました。

 

転校初日で早速「センパイ」の恐ろしさを体験したくゆらす子。

夕食の場で家族に今日の顛末を報告しました。

 

「それはお前が悪い。悪すぎる」

 

そう即答したのは、兄でした。

信頼していた家族からのまさかの一言にくゆらす子は大ショック。

どうしてと詰め寄る妹に、兄は当然、と言わんばかりの一瞥をくれながらこう返しました。

 

「だってお前、足太いじゃん」

 

ここでくゆらす兄についてご紹介したいと思います。

兄は二歳年上。同じ中学には通わず、都内の高校に通う高校一年生でした。

この兄が、身内が言うのもなんですが非常にモテる男で、

無味無臭な転校生ポジションの妹とは反対に、どの学校でも異様に目立つ。

そしてモテる。モテまくる。そしてモテる自分を最大限に自覚している。

という本当にたちの悪いタイプのイケメンでした。

タッキーやらkinkiの光一くんに似ている、とはやし立てられても、

はにかむわけでも否定するわけでもなく、

「にんじんは野菜だ」くらい当然のこととしてスンと受け止める。

そんな男です。

女相手には幼少の頃より口説くかけなすしかしたことがありません。(これマジで!!!)

どうです?嫌な男でしょう?

 

一言で言えば「THE オレ様」「配慮という概念を母の胎内に置き忘れてきた男」

またの名を「人殺しはしたことない曹操

 

本当にそういう人種でした。しかし不思議と同性の友人も多く、

「いじめ」「いびり」とは全く無縁のまさにリア充街道まっしぐらな人生を歩んでいた男です。

一人の女として、これほど身内で良かったと思える存在はなかなかいません。

しかし。転校先で傷ついたかわいい妹に対しても、「配慮」を母胎に置いてきた兄です。彼は言いました。

 

センパイがどうとか、校則がどうとか、そんなことは全く(俺には)関係なく、

ただただ。ただただ、足が太いのにルーズソックスを履くこと自体が罪である。

あとはシラネ。ベロベロバー。

 

まさかの傷口に塩どころかハバネロ塗られた14歳のくゆらす子。

忘れていました。うちはこういう家族だったということを。

 

父「まぁなー。先輩も悪いが、おまえの足にルーズソックスはちょっとなぁ~」

母「そうね~。確かに身の丈って言葉、あるしね~」

父「そうだぞ。ルーズソックスは子供の身の丈からしてだいぶ長いぞ」

母「あらやだお父さん、そういう意味での身の丈じゃないから!ウフフ!」

父「ハハハ!冗談冗談!」

兄「なぁなぁ。お前をシバいた先輩たち、かわいい?かわいい系?」

 

 こういう家庭環境は、子供にとって毒と薬、どちらになるでしょうか?

ハイ正解。100%毒ですね。

しかし赤ん坊の頃から毒を盛られ続け、毒の沼で暮らしていたくゆらす子は、

HPを削られるのではなく、逆に毒耐性がえげつなくついた強靭な心身を会得していました。

 

家族に笑い飛ばされる=大したことではない

 

この図式を刷り込まされていたため、

転校初日に学校の先輩から呼び出されてシバかれるというなかなかショッキングな出来事も、

思い出せば脳内で「ドリフのBGM」が流れる珍コントのような気さえしてきます。

 

www.youtube.com

 

あれ?もしかして私に壁ドンしたのは志村けん

「殺すぞ」と凄んだのはカトちゃん?

ってことは髪をつかんだのは、もしかしていかりや長介

 

 

「だめだコリャ」

何だか脱力してしまったくゆらす子。

隣で一生懸命「かわいい?ねぇかわいい?」と聞いてくる兄に、

とりあえず腹パンしてダッシュで自室に逃げ込むという兄姉への弟妹復讐あるあるを

遂げたら、心も晴れやかになりました。

 

かくして、手厳しい転校生洗礼を受けたわけですが、

家族の愛(違う)に救われたくゆらす子。

とりあえず、次の日からはルーズソックスを辞めたのは言うまでもありません。

しかしその理由は、センパイでもなく、校則でもなく、

ただただ、足が太いから。

つまりは足が細けりゃ大腸でも履くし。

1年先に生まれてきただけで不条理な目に遭うのは筋違いだ。

あんなことが起こっても、その確信は揺るがないものでした。

そう、くゆらす子はまだ完全に女子中学生の闇を理解していなかったのです。

 

ブログの冒頭で書きました。

くゆらす子は、正直言って知らなかったのです。

日本の女子中学生のある種ヒステリーと狂気に満ちた集団心理と、

「アイドル」たちへの偏愛を。

 

三章は、ようやくV6メンバーの、とあるコンビにまつわるお話が登場します。

そしてそれは、くゆらすの「ジャニーズ人格形成」に多少影響を与えたエピソードであると同時に、

V6を初めとするジャニーズに対して、というかジャニーズファンに対してあまりポジティブな印象を持つお話ではないので、

無条件ジャニーズ万歳、ジャニーズファン尊しという指向の方は、

読んでいただくことをお薦めしません。

ご理解頂いた方のみ、次の記事にお進み頂ければと思います。

 

それでは近いうちに、またお会いしましょう。

 

どうでもいい話

こんばんは、くゆらすです。

 

「 ワケなくV6を好きになったわけじゃない」シリーズはちょいと休憩して

すこぶるどうでも良いご報告です。

 

さて。何事も一番になるというのは気持ちが良いものです。

V6ファンの皆さんも、

「私は〇〇くんの一番のファンでありたい」

「V6の〇〇についての知識は一番だ」

と自負する部分を持っている、持ちたい、と思うことがおありでしょう。

かく言う私も同じです。

でも彼らの知識に関しては私めなんぞ

お茶の間ファンに長野くんのすね毛が生えた程度。

とてもとてもV6という20年選手の一流アイドルジャンルで

何かの一等賞を取れるなんて思いもしませんでした。

 

しかし先日。とうとう私は成し遂げてしまったのです!

気づいてしまったのです!!

google先生にて「とあるワード」と「V6」を一緒に検索すると、

このブログが一番トップに表示されることを!!

 

それではくゆらすが初めてV6一番を獲った栄光の瞬間をご覧ください!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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やったぜくゆらす放屁で一等賞!!!

 

ありがとうございます。ありがとうございます。

ライバルの有無次第とか聞こえない聞こえない。

 

※我がブログの下にある謎の中国語サイト

   「V6放屁软件」

 google先生に聞いてみたところ、

   「V6プラグおならソフトウェアのダウンロード」

 とのご返答が。

 なるほど分かりません!!

 

ワケなくV6を好きになったわけじゃない 二章

お久しぶりです。くゆらすです。

仕事に追われていたらあれよあれよと11月1日も学校へ行こうも過ぎ去ってしまいました。

しかし無事ツアーオーラスには行けた幸運なくゆらす。

コンサートのレポートも追って書きたいと思いますが、

まずは見切り発車で出発してしまったこのシリーズを終えるために、

V6を愛する皆さんが正攻法で愛を吐き出している中、

私は全くもって本人たちとは関係のない形で、V6にゆかりのある

個人的なお話しを綴りたいと思います。この章もかなり長くなりました。

しょうもなさは前エントリーの一章を読めばお分かり頂けるかと思いますので、

お暇な方は先にそちらをどうぞ。

 

②1996年「誤認ハンサムマン」事件

 

前章でも書きましたが、くゆらす子はこの頃父の仕事の関係で、某東南アジアに住んでいました。

もちろん当時は今のようにインターネットなどはなく、日本の最新情報をリアルタイムで知ることは困難な作業。

ただ、比較的日本人が多い国な上、日本人学校に通っていたこともあり、

全くの異国生活…という訳でもなく、中途半端に間違った日本のトレンドが耳に入ってきていたのを覚えています。

例えば「チェリー」ってバンドの「スピッツ」って曲が売れている、だの

愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない」という新曲を歌うのは「PUFFY」という二人組ユニット・・・

などなど、「惜しい!」と言わざるを得ない誤情報で、

母国から遠く離れて暮らす日本の子供たちは胸を躍らせていたものです。

 

遠ざけられると強く欲するのは人間の常。

私が通う日本人学校、引いては多感な年ごろに突入する小学校高学年のクラスメートたちの間にも、

「最新の日本トレンドをいち早く正確にゲットする奴がヒエラルキー上位=イケてるグループ」という構図が出来上がりつつありました。

当時(今でもあるようですが)、日本人が集うコミュニティクラブがあり、

そこでは1~2週間ほど遅れて日本のバラエティ番組やドラマが今は懐かしいVHSで貸し出されていました。

人気のタイトルは常にレンタル中。いち早くどの家族よりも観ることに大人も子供もしのぎを削っていたようです。

しかしクラスカースト上位に食い込むイケてる彼らは、クラブで借りるVHSなぞには依存しません。

イケてる彼らの武器は『Myojo』などのアイドル雑誌。

日本にいる親戚に発売時に送ってもらい、3日程度のタイムロスで最新情報を手に入れられるイケてる彼らは、意気揚々とクラスのイケてるメインストリームを突っ走っておられました。

一方その頃のくゆらす子はと言うと。

前述した通り、遠き国のトレンドより隣家の飼っている得体の知れない動物に胸ときめいていたおぼこい少女。

そして唯一日本のものに夢中になっていたと言えば、父の書斎から拝借して読んでいた、

柳田邦男や夏目漱石三島由紀夫などの純文学のみ。

今考えると11歳や12歳そこらで三島由紀夫なんて、「意識高いたかーい」で50メートルぐらい宙に飛びそうなクソガキですが、

くゆらす子家族もスポーツ新聞記者の叔父がいるのに、日本の芸能情報には全く興味がなく、文学を「娯楽」として当たり前のように子供に与えていたため、

当時は自意識の高低などを考えることもなく、クラスメートたちがチェリーのスピッツやハードロックなPUFFYに夢中になるのと同じように、三島氏の流麗な文章に心奪われていたのだと思います。

そうです。当時のくゆらす子は、まるで鎖国制度の中を生きた在りし日の日本人のように、

情報の洪水や新しいものへの執着に右往左往することなく、平凡で安穏とした日々をのびのびと過ごしていた、ということがお分かりいただけたでしょうか?

しかし、くゆらす子の平和は、イケてるクラスメートが乗り込んだ黒船の襲来で突如終わりを迎えます。

 

「くゆらす子って『ロンバケ』も知らないの?だっさーい」

忘れもしない、あれは3時間目の体育の終わり、着替えをしているときでした。

クラスのイケてるグループの中でも屈指の情報通で、まさに女王として君臨していたとある女子が、何故だか私に攻撃を仕掛けて来たのです。

彼女は最新のアイドル雑誌を学校に持ち込み、それを惜しげもなくクラスメートたちに披露することで、女王の座を欲しいままにしていました。

「だれだれ君は原宿のなになにってお店のアクセが大好き」だの「なんとかってグループのだれだれはなんちゃらってグループのほにゃららと付き合ってる」だのの

どこから得たのか分からない最新情報を、教室の中央で暴露する彼女はさながら芸能記者のようでしたから、彼女の名前は仮にナシモトさんとします。

ナシモトさんが何故平々凡々なくゆらす子に突っかかってきたのか判然としませんが、

恐らく彼女もまた暇だったのでしょう。

女王の最大の魅力である芸能情報にピクリともしない変なクラスメートを心配に思ってくれたのかもしれません。

こういう攻撃を受けたとき、漫画などであれば主人公は「そういう下らないコトにかまけている暇はないの。ごめんあしゃせ。(花背負う)」的なカッコイイ切り替えしができたのかもしれませんが、

当時のくゆらす子は何度も言いますが、ピュアで残念な少女だったのです。

「〇〇を知らないの?」と問われれば、「うん知らない!」と答え、

「それはいかがなものか」と苦言を呈されれば、「そうかなぁ?そうなんだああ!!」となってしまうほどのピュアで残念な心の持ち主だったのです。

私は、ナシモトさん言うところの『ロンバケ』とやらを、

来週の小テストの範囲と同じくらいの価値で考えていました。

余りにもピュアに「うん知らない!」と答えたものだから、ナシモトさんも毒気を抜かれたのか、その後は意外と親切に『ロンバケ』というものを教えてくれました。

それは何やら『キムタク』という現在トップ・オブ・ザ・トップに君臨しているアイドルが出演していたトレンディドラマで『ロングバケーション』の略。

主題歌の『ララララブソング』がすごく流行っている、というものでした。

そして必ず「これ観てないのはチョーやばいよ!」「絶対観ないとダメだよ!」と念を押すナシモトさん。

クラスの女王が口の端に泡を溜めてまで力説するんだから、観た方が良いんだろうな、

親切だなナシモトさん。恐縮です。…と体育着から着替えながらぼんやりと考えていました。

しかし4時間目のチャイムが鳴ると同時に『ロンバケ』が『ンバ』くらいに薄れ、

家に帰る頃には『(なんか四文字)』くらいの記憶に風化してしまったのです。

本当に、それはもう、心の底から、興味がなかったんでしょうね。

黒船襲来をまさかの「来たことをぼんやり忘れる」というペリーもびっくり戦法でかわしたくゆらす子。

あのまま思い出さなければ、私は今でも文学しか興味のない丸い眼鏡のおさげ女(超偏見)になっていたかもしれません。

 

しかしふと、私は思い出したのです。

『(なんか四文字)』のドラマを観ないといけない!と泡を飛ばすナシモトさんを。

夕食の席で、私は父に言いました。

 

「何かなんとかって4文字のドラマを観た方が良いってクラスの子が言ってた」

 

あ、あやふや~!!

父も「・・・へ~」としか返してくれません。

しかし薄いリアクションに逆に火がついたくゆらす子は、何故かどんどんヒートアップ。

 

「なんとかって4文字のドラマ!でもなんか英語の略!なんとかってアイドルが出てる!」

 

お、おぼろげ~!!

何て残念な記憶。そして良く分からないテンション。

これだけだったら「そうかそうか。くゆらす子は学校楽しいか。あ、母さんご飯おかわり」で終わってしまうと思ったのか、くゆらす子は最後に卑劣な一手を使ってしまいます。

 

「ドラマとか全然観たことないってことをクラスメートたちに超馬鹿にされた!って言うかイジメかも!そうだ!あれはイジメだ!」

 

あろうことかナシモトさん一派にこの良く分からないテンションの責任を被せたのです。

何て卑怯なくゆらす子。まさに恐縮です。

娘のこれまでにない強硬な態度に父はいささかびっくりしたようですが、

「下らないことを言ってないで玉ねぎ食べなさい。あ、母さんご飯おかわり」

とスルーしてこの場は収まりました。

 

どうしてあの時、あんなにも頑なな言い方をしたのか。

もしかしたらどこかで「クラスの中心的存在」に憧れがあったのかもしれません。

でもどうしてもそこに入りたい、という程の強い想いがあるわけでもなかったので、

あのような中途半端な情報で終始したのでしょうが。

何はともあれ「他人の目を気にする」ことを覚えたくゆらす子。

ピュアな少女時代が終わりを告げた瞬間です。

 

しかしその後はめっきり『(何か四文字)』のことなど忘却の彼方へと吹き飛び、

バッタを追いかけて溝にハマって骨折をする健全なくゆらす子に戻っていたのですが、それから1か月後くらいでしょうか。

父は忘れていませんでした。

何と日本人コミュニティクラブで例のドラマを借りてきてくれたのです。

娘の「イジメ」という言葉に敏感になったのかもしれません。

海外まで来て日本人となれ合うことを好まず、普段全くクラブを利用しなかった父が、

日本のトレンディドラマを握りしめ、カウンターへ並ぶ姿を想像し、

子を思う親の心に胸がきゅっと熱くなりました。

 

(ありがとう、パパ。ありが・・・)

 

感謝しながらVHSのケースを観ると、そこには『ハンサムマン』の文字が。

 

(あれ…なんか違う。っていうか絶対違う・・・)

 

く 「パパ、これじゃないよ多分」

父 「いや、これだろ。ドラマの棚にあったし」

く 「でもなんか四文字だった」

父 「英語の略だっつってたろ」

く 「でもハンサムマンは略さないでしょ」

父 「え?(めんどくせーな) あれだろ、『ハンサム』だろ(適当)」

く 「え?『ハンサム』?おかしくない?」

父 「あ?(威嚇)

く 「ですよねー。」

 

残念なくゆらす子とてそこまでバカじゃありません。

(HANDSOME・・・ CHIGAU ZETTAI・・・)

と思っていても、我が家は父の権力こそ絶対。

父が言えば『ロンバケ』も『ハンサム』となる独裁政権。

負に落ちない心を持て余しつつも、もともと忘れていたドラマだったので、

そんなもんか、そうだったのかもしれない、そうだろう、とすぐに気持ちを切り替えました。

聞き分けの良さとポジティブ変換性能は同世代でもベスト500くらいには入ると思います。

 

そしてなんだかんだと初めての日本のドラマに胸躍らせながら、再生ボタンを押したくゆらす子。

 

ここでドラマ『ハンサムマン』はどんなお話しだったかおさらいしてみましょう。

ハンサムな医師である佐伯トビオは、周囲の女性(患者、看護師など)の人気者であった。ある時、一人の初老の男性に出会う。その人から不思議な実「シンヘン」と言う惚れ薬をもらい「あなたが本当に愛している人の前でこの実を食べると、その人とずっと一緒にいることが出来る」と言われる。トビオはナンパした女性とホテルに行き、その実を彼女の前で口にした。すると、彼は少しでもエッチなことを考えると、女性に全く相手にもされないようなブ男に変身してしまうという不思議な能力がついてしまった。そんな中、トビオと一緒に働く新人看護師の高見萌子は、偶然起きたある出来事が原因で、彼を男としては軽蔑していた。彼女はトビオの変身後の姿とは知らずに、トビオ2号の誠実な態度に好意を寄せていく…。(Wikipediaより)

 

ただひたすらに顔のはっきりした青年がエロいことを考えるとデブな男に変身する…

というかつてないアバンギャルドでエッジ効きすぎな物語に、

純文学を愛するくゆらす子は呆然自失。

そんなドラマを激推ししたナシモトさん。何故貴女は。口の端に泡を溜めてまでこれを。

 

顔のはっきりした青年とデブな男と口角に泡溜めたナシモトさんが、

動揺するくゆらす子の瞳にオーバーラップします。

 

再び「これは『ロンバケ』じゃない説」が去来するくゆらす子の胸中でしたが、

VHSのパッケージを読んでいた母の一言が神の一手となりました。

 

「あ、この主役の子、ぶいしっくすじゃない。

 前にAきら叔父さんが取材に行ってたアイドルじゃないの」(前章参照)

 

ここで思い出すのはナシモトさんの『ロンバケ』に関する熱い解説。

 

現在トップ・オブ・ザ・トップに君臨しているアイドルが出演していたトレンディドラマ」

 

一致した!!!!

これは『(何か四文字)』や!!!!

 

アイドル知識など皆無なくゆらす子。「smap」など知るはずもないくゆらす子。

それならば聞き覚えのある「ぶいしっくす」の方がくゆらす子にとってはより著名なアイドルです。

ハンサムマンをロングバケーションと間違え、

木村拓哉長野博と勘違いするミスなど、一体誰が責められましょうか。

 

(へ~、この顔のはっきりとしたお兄さんが今一番人気のアイドルなんだ~。

 顔はっきりしてる~。)

 

もうくゆらす子の脳裏に「疑惑」の文字は微塵もありません。

私は(これは今日本で一番人気のアイドルが出演した今日本で一番人気のドラマだ)という確信のもと、

ただ真面目に、顔のはっきりとした青年がエロいことを考えるたびにデブな男に変身していく物語を全話観たのです。

 

ただ、当時長野くんのかっこ良さについては、相対的評価は刷り込みで理解しましたが、

個人的な感情は全くなかった、というのが本音です。

学校でも、2組の山本君がカッコイイ!3組の早川君がモテる!なんてわーきゃーする女子たちの中で、

「姿形の美しさで言えばピューマとかジャガーとかの方がカッコイイ」と考えていたくゆらす子でしたので、彼の美形はまだ生後11年そこらの女には早かったのでしょう。

しかし「ハンサムマン」というタイトルに相応しい主役だな、とぼんやり思っていたのは覚えています。

 

そして主題歌。ハンサムマンの主題歌はご存知ですね。

coming century至高の名曲『Theme of coming century』です。

 

ロンバケの主題歌『LA・LA・LA LOVE SONG』についても教えてくれていた親切なナシモトさん。

確かこれもすごく人気だった、と言っていました。

しかし『ロンバケ』を忘れた私にこんな長いタイトルが思い出せるはずもなく、

「ときがきたよ かみんせんちゅり まっていた にゅーらー」

とリズミカルな音に合わせて複数人とみられる男性たちが歌っているあの曲を、

私が久保田利伸の名曲だと思い込むことは当然のことでした。

 

「男のパワー 感じてダーウィン 誰も愛せないね 他に 

 ライダーライティン レッツゴ トゥ クレイジー 尻―」

 

純文学を愛するくゆらす子にとって、あまりに不条理な歌詞の世界。

この曲を激推ししていたナシモトさんが動揺でささくれ立つ私の脳裏に再びオーバーラップします。

 

でも刷り込みとは恐ろしいもので、

日本の芸能事情を全く知らなかったくゆらす子にとって、

『ハンサムマン』『V6』『長野博』『Theme of coming century』は、

「これが日本の一番カッコイイとされる世界なんだ」という解釈で、

意外とすんなりと受け入れられたような気がします。

 

そしてもう一つくゆらす子家族に大きな変化が。

この『(何か四文字)』騒動に端を発した『ハンサムマン』の鑑賞をきっかけに、

我が家の鎖国制度が解かれ、父母が日本のドラマやバラエティ番組を借りて来る機会が増えたのです。

それは中一で日本に帰国するまで続き、その過程の中でゆるやかにロンバケの真相やキムタクの正体を知っていくのです。*1

 

ナシモトさんとも色々とお話をしたかったのですが、

彼女は小学校卒業を待たずして日本に帰国してしまい、その後仲を深めることもなく今もどうしているのかは分かりません。

日本では皆が当たり前のようにジャニーズやドラマに精通していることを私も後年に理解することになります。

荒い手口でしたが私に日本の芸能トレンドを教えてくれたナシモトさん、

クラスの女王に君臨していたナシモトさんが、

日本に帰っても教室の中央で口の端に泡をつけて幸せでいてくれることをぼんやりと願っていたことを覚えています。

 

さあ、かくしてV6、特に長野くんに、(誤認という形ですが)一歩踏み込んだくゆらす子。

この後は日本での生活編となり、多少ご本人たちも登場し始めます。

二章も途方もない長さになりました。

どうやら私は端的に物事をまとめる力がないようです。

またお暇なときにお付き合いください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:当時日本の芸能が東南アジアでもブームとなり、日本語のカラオケができたので同級生たちと行ったときにドヤ顔で「レッツゴトゥクレイジー尻ー」と歌い我が家の誤認ハンサムマンが暴かれたのはまた別のお話し

ワケなくV6を好きになったわけじゃない 一章

【はじめに】

主人公:くゆらす子

 1983年日本生まれ。幼い頃は父親の仕事の関係で国内外を転々とする。

 いわゆるジャニーズJr.黄金世代と呼ばれる皆さんと同世代で、

 クラスメートたちがMyojoやPOTATOを切り抜くことに命を懸けていた頃、

 「この雑草は食べられるか否か」「タンポポの綿毛を鼻に詰めたらどうなるか」*1

 などの身近なネイチャーに夢中になっていたとても健やかで残念な少女時代を送る。

 

Attention!! 

以下、かなり低俗な表現が含まれております。

V6と下品はつながらない、いや、つながらせない!という方はご遠慮ください。

 

 

①1995年9月4日 

 「ヴェルファーレ ぶいしっくすさん」事件

 

V6ファンならご存じですね。

V6メンバーが初めて世間にその姿を見せたのは、

バブルの遺産「六本木ヴェルファーレ」での記者発表会見でした。

当時、くゆらす子は11歳。

芸能界の最先端ニュースよりも今日の晩御飯の方が気になるお年頃です。

しかもその頃は父の仕事の都合で東南アジアの某国で暮らしていたため、

幼いくゆらす子の心を揺さぶるものとしては、

日本のアイドルグループがこの度デビューしたなどという情報は、

「隣家のサティさんが飼ってる犬、あれ実はヒョウなんだぜ…」

という兄からのリーク(ガセ)の前では、余りにも無力なものでした。

 

しかし11歳のくゆらす子は、

「V6」という名前を1995年9月4日にしっかりと胸に刻むこととなります。

 

何故ならばこの日、私の叔父が某スポーツ新聞の記者として、

ヴェルファーレで彼らのデビュー会見に立ち会っていたからです。

 

単なる仕事の話として聞いたのであれば、幼い私の記憶には全く残らなかったでしょう。

何故、私は「V6」という名前を記憶したのか。

それは叔父が密かに“やらかした”出来事が原因でした。

 

 

30を超えたばかりの叔父は、新人記者として初めて現場に入りました。

そう、V6のデビューはすなわち叔父のデビューでもあったのです。

異動願いを出し続け、念願かなって掴み取った栄光のペン記者の座。

気負った叔父は前のめりでV6の登場の瞬間を待っていたそうです。

未来のスターたちを鼻息荒く今か今かと待ちかまえる叔父!

握るペンも緊張と興奮でインクがにじむ!

そしていよいよ!自分と同じくデビューを果たす6人が目の前に!!

 

V6ファンならご存じの通り、彼らの登場には、

トニセンカミセンを包んだ巨大な風船が、コールとともに勢いよく割れる…

というキ〇グカズも真っ青の斬新な演出が施されていました。

 

(さすが天下のジャニーズ様だゼ…)と叔父が思ったかどうかは分かりませんが、

何と、前のめりでその瞬間を見ていた叔父は、「パァン!!!」という音にびっくりして、

「BOOOH!!!!」と元気良く放屁をしてしまったのです。

 

 

V6自身も預かり知らぬところで行われた初めてのコール&レスポンス。

 

今や立派なV6オタとなった現在のくゆらす子ならば、

テレビに映らなかった6人の様子を根ほりはほり聞いちゃうのでしょうが、

この頃はサティさんの家のヒョウ(ガセ)の方が気になるピュアな少女。

残念ながら当時の貴重なV6の裏話などみじんも興味がなく、

ただひたすらに叔父の放屁話に心躍らせていました。

それはくゆらす子の家族とて同じこと。娯楽の少ない異国暮らしの我が家に、

この叔父やらかし事件は大いなる笑いをもたらしました。

 

父「でも現場は大丈夫だったのか。ぶいしっくすさんにご迷惑を掛けたんじゃ・・・」

叔父「いや、距離も離れていたし大丈夫だった。

   最年少の子はずっとこっちを見ていた気がするけど。」

父「ぶいしっくすさんも気の毒だなぁ、こんな門出なんて。」

叔父「いやいや、縁起モンだろよ。売れるぜあの子たち!!

   心なしか屁の音“ブイ!”“シーッ(ク)スゥ”つって応援してたゼ!アハハハハ!」

父「“ブイ!”“シーッ(ク)スゥ”アハハハハ!!

  ヴェルファーレじゃなくて『屁をひるふぁーれ』だなコリャ!アハハハハ!」

 

 

何という最低な会話でしょう。

 

V6ファンの皆さん、どうかお許しください。

子供心に、私も「あ、うちの一族クズだな」と思いました。

 

今になって思えば、恐らく最年少の子は叔父なんぞに目線をくれてやっていたのではなく、

ただひたすらに、彼らしく「ぼーっと」していただけなのだということが確信できますが、

当時この話を聞いた私は笑いながらも、

「最年少の人が叔父の放屁で具合が悪くなっていたらどうしよう・・・」

「叔父の放屁が原因で、ぶいしっくすさんのデビューやっぱりナシとかになったらどうしよう・・・」

と少し真面目に心配していました。

叔父の放屁は精度高めの呪いか、と突っ込みたくなりますが

11歳のくゆらす子は結構真剣にバカだったのだと思います。

 

このことがきっかけでくゆらす子一家の間では、

しばらくの間「V6=放屁」「V6の最年少=放屁男を凝視」という大変不条理かつ不名誉な図式が出来上がっていたのを覚えています。

あと「叔父の仕事相手だから」という過剰な意識で父が呼んだ

「ぶいしっくすさん」という敬称つきの響きが、

“何だかイケてる技の名前のようだ”と、くゆらす子の兄がとても気に入り、

兄妹ゲンカのときに「ブイシックスサン!!」と叫びながら

ローリングソバット(下図参照)を食らわせられていたのも忘れられません。

 

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兄も一族の名に恥じない残念な仕上がりだということがお分かり頂けましたでしょうか。

 

かくしてくゆらすとV6の初めての出会いは、

「叔父の放屁」というまさかのモノでつながれることとなります。

しかし、あくまでも「ぶいしっくす」という名前を認識しただけであり、

そこにくゆらす子の感情はまだ何も存在していません。

この獣道が、果たして「V6に恋する道」につながるのでしょうか。

書いていて自分でも自信がなくなりました。

 

思ったよりも一章が長くなったのと最低な内容で無駄にカロリーを消費したため、

今日はここまでにします。

 

素敵ブログを楽しみにして下さっていたV6ファンの皆さんを振るいにかける

これ以上ない踏み絵だった、

ということだけがこの記事の存在意義ですね。

次回からも同等の低レベルなエピソードが続きますので、

先に謝っておきます。ごめんなさい。

*1:答えは「口でしか呼吸ができない」でした

ワケなくV6を好きになったわけじゃない ご注意

こんばんは。くゆらすです。

 

ノリと気まぐれで始めてみたブログ。

先のエントリー記事を読み返してみて、しまった!と思ったことが。

 

「ワケなくV6を好きになったわけじゃない」なんて偉そうなタイトルをつけていますが、

正直言って、全然大した内容ではありません。

というかかなりしょうもないエピソードばかり書こうとしています。

 

私のブログは、

「V6」自身に惹かれた経緯や恋に堕ちた瞬間の衝動を熱くじっくり語る…といった

他のファンの方が書いているような素敵な面白い内容とは全く異なります。

あえて言うのであれば、

20周年おめー( ◉◞౪◟◉)

アタシなんでか知んないけど

V6絡みのエピやたらもってるし!

でも超微妙なのばっか!ワラ

とりま暇だしまとめてみた☝ ՞ਊ ՞)☝ 

程度の偏差値低そうな思い出バカ話です。

他の方の記事こそが「ブログ」であるならば、

ここは「フロク」ぐらい色々足りてません。

 

さらに注意しておかなければならないのは、ほとんどのエピソードは、

V6ご本人たちとはまっっっったく関係ないということです。

本当にしょうもないエピソードばかりなので、

かかとの角質でもほぐしながら読んでください。

あなたのかかとが美しくなった方が、世の中の為ってものです。

 

何だか牽制のような文章ですが、タイトルに「V6」を入れてしまったものだからか、

キーワード検索で迷い込んだ同志がちらほらいらっしゃるようで、

くゆらす既におしっこちびりそうです。

 

ご期待に添えない気満々ですみません。

「このブログはしょうもない」と3回呟いてから、

次回以降をご覧ください。

 

 

ワケなくV6を好きになったわけじゃない 序章

こんばんは。くゆらすです。

 

さて。突然ですが「ブログ」を始めた理由。

リアルでは言えない愚痴の掃き溜めだの

リア充報告だの

生きた証だの

うちの犬がカワイイだの

それは人様それぞれ。

色々なきっかけや思惑があるでしょう。

 

私はと言うと、今回のタイトルが全てです。

 

「ワケなくV6を好きになったわけじゃない」

 

ご理解の通り、私はV6が大好きです。

ここはてなブログにも、沢山のV6ファンの皆さんがどうして彼らを好きなのか、

どのように6人を愛でているのかを綴った素敵ブログが数多くあるようです。

 

基本的にインタラクティブ空間においてロム専を徹底している私は、

ブログを初め、SNS(主にツイッター)においても、

誰をフォローするでもなく、「V6」「長野くん」などの関連ワードを

検索ボックスに入れては、引っかかる投稿をニヤニヤと、

それはもうニヤニヤと眺めるだけで満足でした。

 

検索は毎日の日課。というより毎時間の習性。

ネットの海に散らばるV6*1をかき集めてはただひたすらモグモグしています。

 

そこのV6ファンでツイッターユーザーのあなた。

たぶん私はどんなフォロワーさんよりあなたをフォローしてますよ。

一度も話しかけたことないけれど、心の内では健くんのメンバーに対する

物理的距離感くらいオラオラしています。

鼻息感じるほど近くにいるのが三宅健ではなくちょっと乾燥肌の一般人で恐縮です。

 

さてそんなトップ・オブ・ネット弁慶の私が、

なぜブログなぞを開いて世間様のお目通しを謀ったのか。

 

いや実は別に誰かに読ませたいものがあるわけではないのです。

ただ今年は、V6が産声を上げてから20年となる節目。

大変幸運なことに、11月1日は代々木第一体育館でお祝いできる予定です。

 

V6と私が少なからず交差するこのアニバーサリーもご縁の一つ。

私が辿ったV6への道程を書き記しておきたい、

そう思いたち、このブログをはじめました。

 

思い出しても、私がV6に覚醒していった原因は、

結構風変りなご縁で重なっています。

 

一つ言えることは、私とV6を引き合わせたのは、

決して偶然ではないでしょう、という幸せな憶測です。

 

はっきり言って、

半ば強制的に彼ら6人を意識せざるを得なかったこの20年間。

 

くゆらすという人間が、どのようにV6ファンと自覚していったか、

思い出しながら書き連ねていきたいと思います。

 

ではまた次回に。

 

 

 

 

*1:どうでもいいけど「長野くん」だとV6、「長野君」だと野球の…って微妙に棲み分けができているのは何故?